CONTENTS
時代 年代 事柄 有名なファラオ
先王朝 紀元前7000年頃
4500年頃
3500年頃
エジプトに定住民が現われる。
農耕・牧畜文化の成立。
アジアとの接触。統一国家への気運。
「スコーピオン・キング」の紋章。
初期王朝 3000年頃 ナルメル王(上エジプト)によって全土統一。
第一王朝成立。首都メンフィス。
ヒエログリフ発祥。
王のカルトゥーシュにセト神登場。(第二王朝)注:すでにホルス神派とセト神派で、どちらが王に就くか揉めていた。
ナルメル王
ペルイブセン王
古王朝 2690年頃
2610年頃
2500年頃




2270年頃
ピラミッド建築開始。(サッカラの階段ピラミッド・イムホテプ設計)
レバノンから杉材輸入。スネフル王。
太陽神ラーの信仰が盛んになる。
クフ王のピラミッド、スフィンクス、ギザ三大ピラミッド建設。
王の称号に「太陽神の息子」が加わる。
太陽神殿建設。
ウナス王のピラミッド。最古のピラミッド・テキストが描かれる。
戦乱期。地方勢力拡大。
ジェセル王
スネフル王
クフ王
ウナス王
第一中間期 2180年頃 群雄割拠。
上エジプトと下エジプトの対立。(以前から別の国の認識有り)
中王国時代 2040年頃
1850年頃
エジプト再統一。メンチュヘテプ二世(首都テーベ)
支配地域拡大。センウセルト三世(首都ファユーム?)
メンチュヘテプ2世
センウセルト3世
第二中間期 1790年頃
1680年頃
王権弱体化。
遊牧民族ヒクソス(ヒッタイト)の支配。=小アジア支配(アラビア系)
馬・戦車が伝わる。
新王朝 1567年頃


1400年頃
1375年頃
1360年頃


1300年頃
1190年頃
1130年頃
アハメス一世、エジプト奪還。国内統一。
王家の墓造営。
アジア・ヌビアに軍事遠征。
エジプト王朝、最盛期。マルカタ王宮建設。
アクエンアテン王のアテン信仰。
ツタンカーメン即位。アメン信仰復活。
セティ王。文化・美術の成熟。カルナック神殿建設。
ルクソール神殿完成。
ラムセス二世、ヒッタイトと戦争。
海の民の来襲。(ヴァイキングか?)
内政混乱。貧窮と無法の時代。
アハメス1世
ハトシェプスト女王
アクエンアテン王
ツタンカーメン王
セティ王
ラムセス2世
メルエンプタハ王
末期王朝 1085年頃

935年頃

600年頃
500年頃

332年頃
テーベのアメン神官団の台頭。
スエズ運河建設着手。
異民族支配開始。(リビアはアフリカ側・アッシリアは近東・ヒッタイトはトルコ)
エジプト最後の繁栄。ギリシャと交易。
ペルシャ支配。(ペルシャは現アラブ付近)
ヘロドトス「歴史」を著す。
アレクサンダー大王の支配。
アレキサンダー大王
プトレマイオス朝 305年頃
196年頃
30年頃
プトレマイオス一世即位。
ロゼッタストーン建立。
クレオパトラ七世の死。ローマの属州とされる。
ここまでが、古代エジプトと認識される。
プトレマイオス1世
クレオパトラ7世
ローマ支配 200年頃 プルタルコス、オシリス信仰を論文化。
イスラム支配 639年
1300年頃
イスラーム軍のエジプト侵攻。
イスラム化の完成。(ここら辺、どうでもいい)
1862年 日本使節のサムライ、スフィンクス前で記念撮影(福沢諭吉含む)。
古代エジプト年表
アケト(洪水の季節) 6月〜10月末 古代エジプトの新年は洪水が起こった時から始まる。
ペレト(種蒔の季節) 11月〜2月 洪水が収まり、土が柔らかいうちに急いで種蒔き。
シェムゥ(収穫の季節) 3月〜4月 大急ぎで収穫。子供も老人も村人総出。
―――(不毛の季節) 5月〜6月 次の洪水までカラカラに乾燥する。
古代季節表
関連資料
オシリス神話は、エジプト神話の中でも初期に形成された物語です。ホルス、セト、と言った神々はそれ以前にすでに地方で信仰されていました。最初に神々が現われたのは、紀元前4500年に農耕・牧畜が行われた頃、動物信仰が始まりでした。そのため、エジプトの神々は動物の姿になぞらえられる事が多いようです。
更に時代が過ぎ、最初に記述として残されたピラミッド・テキストは古王朝時代の紀元前2300年代です。オシリス神話が現在知られる形態として編纂されたのは更に先の新王朝時代で、最後の戦いの部分はエジプト崩壊直前のプトレマイオス朝時代、と・・・およそ3000年かかって全ての逸話が出揃います。
ローマの歴史家プルタルコスが論文の形で残したものが現在のオシリス神話の大元となっています。紀元200年代です。その頃にはプトレマイオス朝も滅び、ローマの属州となっていました。

オシリス神話・・・現在知られているホルスを主人公とした英雄抒情詩のごとき物語は、数千年の時間の後に作られた物語であり、神々の本質などは形骸化している怖れもあるのです。
時代も場所もバラバラなところから発祥した幾多の伝奇を編纂したもの、と言えるでしょうか・・・。
多分にローマやギリシャ的な味付けが加えられている事を明記しておかねばならないでしょう。
エジプト基礎知識
  • エジプトと認識されるのはナイル河の氾濫によってもたらされる沃土が及ぶ範囲で、「黒い大地」の意味を持つケメト。対して、それ以外の土地は「赤い大地」デシェレトと呼ばれる。
  • 「エジプト」の名称は、アレクサンダー大王の時代にマケドニア人たちの訛りから発生した。それまでは「ケム(ケメト)の国」、「タ・ネチェル(神々の国)」、「タ・メリ(水辺の国)」など、地方でさまざまに呼ばれていた。
  • 上エジプトを禿鷲の女神ネクベトが守護する「白い国」と呼び、下エジプトはコブラの女神ウアジェトが守護する「赤い国」と呼び、全エジプトを統治した王を「二つの国の王」と呼んだ。上エジプトの冠が白で下エジプトの冠が赤であり、通常はふたつを合わせて使用した。他に戦闘用の青い冠もあった。
  • エジプト人は主にアフリカ系のコーカソイドと思われる。彫りが深く鼻筋が通っている。他民族支配以前は多神教のハム系民族であったが、現在は一神教のセム系民族である。
  • ファラオとは「大きな家」という意味で、宮殿や支配機構を指した言葉であり、王を指す言葉ではない。「ファラオ」=「王」という繋がりは、ローマ支配の時代頃から始まった。
  • 殉死は、古王朝時代から第一中間期くらいまで続く。新王朝時代には「   」が作られるようになり、殉死はなくなった。(王妃は断食させた上に松ヤニ食わせて、生きたままミイラにしたらしい)
祭のためには、神官や官吏が使うシリウス暦で、詳しい新年の訪れを計った。

古王朝〜中王朝時代まで、農民は濃奴であり土地に付属していて家畜と同等に見なされていた。新王朝時代に入ると、日雇いや土地を持つ自立農民が出現。やがて農民の大半が自立農民となり、土地の世襲制や自由売買なども行われた。同じ土地が王と地主の両方から神殿に寄進されることもあった。
税の取り立ては厳しく行われた。洪水の時の水位から労働状態まで細かくチェックされ、毎年税が決められた。
新王朝時代の神殿が所有する土地は、全エジプトの3分の1ともなったが、中央集権体制が固まっており、そういった個人や神殿に属する土地からも農作物は税として徴収されていった。したがって、禁忌とされる豚や魚なども、貧しい階層の民には食べられていた。(特に豚は、一部の神殿内でのみ、厳しく禁止されただけで一般的に食べられていた。)しかし農奴といっても、ヘロドトスが紹介したほどには、酷使されていなかったらしい。

奴隷は、一般に敵国を征服した時など、捕虜を連行してきたものらしい。
もっと詳しく知りたい方は、こんなサイトよりこっちのサイトさんのがタメになります(笑)。
私も勉強させてもらってます(笑)。小説、11Pも書き記す前に教えて欲しかったな・・・(遠い目)
何を隠そう、啓示によって、上のサイトを教えて頂いたのです!(笑)
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*エジプトの季節は3つです。最後の「不毛の季節」はシェムゥの最後の月に当たります。